集金に行って思うこと

この仕事を長くしていると、いろいろな共通点に気づかされます。
その共通点からナビなどなくても簡単に居宅を探し当てることが可能です。
とにかく、この家であって欲しくないなと思う家が居宅なのです。
同業の方なら、うなずいてくれるはず。
分かりやすくていいのですが、逆から言うとそのことに注意を払っていれば
そのようなこと(曖昧な表現が多すぎ)には、ならないと考えるのです。

いわゆる松井一代的発想です。
風が吹けば桶屋が儲かる」ではないにしろ経験則から、かなりの確率で
起こっている事実を見逃すわけにはいかない。
松井一代的発想がなぜいいかというと、自分を悩ませている一番のストレスを
開放してあげるのではなく、それによって他に波及してしまった事実を集中的に
改善することに努力するということである。

何が言いたいのかというと、身の回りをきれいにしろということ。
お金をかけるのではなくても、徹底的にきれいにする。
家のまわり、家の中、寝具、衣服、食器、家具、家電、髪の毛に至るまで。
全てにわたりきれいに清潔に。
そしてそれを保つ努力をする。

別に宗教の教えではないが、ストイックなまでに集中する。
全てのサイクルを二者択一する。一般的にいやなほうをしないようにするのではなく、いいほうを進んでするようにする。汚れるのがいやだから汚れないようにする
のではなく、どんどんきれいにする方を心がける。

きれいと汚いどっちがいい。  きれいがいい
健康と病気どっちがいい。   健康がいい
楽しいと辛いどっちがいい。  楽しいほうがいい


この最終選択に自分の一番のストレスの原因を持ってくる。
しかも質問の仕方も、借金があったほうがいいかどうかではなく

お金はあったほうがいいと無い方がいい。

とある団体の多重債務者のカウンセリングの内容を読んでいてふと考えたことです。パチンコをやめなさい、お酒をやめなさい、家計簿をつけなさい。
そんなことでは、多重債務者はなおらない。
かといってその心の奥にある何かを容易に見つけることは不可能だろうし、カウンセラーが家族の内面にまで入り込んでアドバイスするのもどうかと思う。

本当の意味での救済なんていうのは絶対無理なこと、なのであれば松井一代法もありかなと。

地域単位で多重債務者の相談のっていこう見たいな事が騒がれていますが、その方たちは多重債務者の家に行って家庭環境をみて生活内容をみて救済しようとしているのでしょうか。
過払い金請求して、税金徴収して、残ったら本人にあげて。
それで、救済した気分になっているのであったら大きな間違いです。