日本人
どうも、日本人なのに。
二日和食が続くと、お米に飽きる。
出汁の味から遠ざかりたい欲求が。
コロナ禍のせいかな。
慣れない
平日は9:30には着いて、テラス席で仕事始める。入れるのは10時から。
ただこの時間の電話が一番多い。
どう言うわけだか、二日に一回は下ちゃんにばったり会う。
凄い確率。
ひょっとして、ストーカーされてるのか。
幼少期
孫と自分を重ねてみる。
あの頃の自分。
69年。小学二年生。
毎日、釣りばかりしていた。
毎日、ランドセルを放り投げ釣り竿と餌のミミズ(今ではさわれない)を持って家のそばの川へ。ウグイとアメマスを嫌と言うほど釣りまくった。食べるわけではないのだけど、餌に食い付いた時のググッとくる感じが快感だった。
漁師の爺さんは、喜んで竿やら今度は磯釣りだと、道具を買い揃えてくれた。
小学三年生の時には、一人で干潮の時にしか渡れない岩場で8時間以上過ごした。
花咲蟹がハズレでタンタカと呼ばれた腹が黄色いカレイを狙い続けた。
小学4年の時は、凧にハマった。
仲良くしてた美術の先生に教えてもらった立体凧を10以上作ってとばした。
母親が長期入院していて、かわいそうに思った父親がバルサ材やら和紙やらを呆れるくらい買い揃えてくれた。
200メートルのリールでとばすのだが、糸の重さは凧の性能を上回ると初めて知った。
小学5年。新任できた教頭の息子と仲良くなった。2人で毎日裏の小高い丘の頂上から、スキージャンプをした。息子のほうは途中からスラロームに変わったが私はずっとジャンプ一筋。
札幌五輪の笠井は、ヒーローだった。
小学6年。同級生の仲良し3人、みんな同じラジオを買ってもらった。ソニーの短波も聞けてトランシーバーにもなるやつ。
学校で前日の夜のラジオ番組の話をよくした。
3人とも、歌謡曲は聞かないへんなガキだった。
ん〜
点検〜タイヤ交換
4年点検だった車を代車と交換して、すぐそばの毎回お世話になってるタイヤセンターへ。
ネットで直送してもらい、こちらで履き替え。
RFTからラジアルへ。
これで乗り心地改善される。
しかも高額だしね。
待ってる間、仕事をせっせと。
どこでもパソコン!