80’s パプ編

地下一階の○○百姓がオープンを迎えた頃
同様に地下二階にも作られていたディスコが完成を迎えました。
当時、5階にはDJがシャベリながらのディスコがあったのですが
少し大人向けの都会的なディスコがあってもいいのではと、できたのが
この○○○○21(当時最後に21と付けるのが流行っていた)。

DJは二人決まっていたのですが、フロント(俗に言う黒服)がまだ一人しか決まって
いなくて。入れるまでとりあえず私にそのお鉢が回ってきた。
一ヶ月半の約束で。
フロントとビップルームの担当。
部長から、モード雑誌を何冊か渡され、フロントでの身なりのチェックの
参考にするようにと。

私の身なりは、やはり黒のスーツではないといけないのですが
持っていないといいましたら、隣のビルに入っていたMENSBIGIで黒の
スリーピースを買ってもらったりして。

まあ、ガキどもは来ないのですが
その筋の方を見極めて、お引取り願わなければならないのが難儀でした。
ただ、ビップルームに一人でも入られたら、このフロントの役目は終了となるので
楽といえば楽でした。

飲物も、時価のようなウイスキーやブランデーからお料理は
7階のクラブ○○からエレベーターで運んでいたのでした。
ですので、使われるお客様は極々限られていて。
ここのビルのオーナーが行きつけの料亭経由の二次会というパターン。

ですからほんとに見たことあるわ、という方が多かった。
外タレも結構いたような。
なので、色紙を渡されて何度と無くサインをお願いしに行った記憶が。

この時の一ヶ月半のバイト料は、時給950円で過去最高額に。
一ヶ月のバイト料が、150000円。

たかが一週間の研修のおかげで、こんな経験させてもらえるなんて。
ねー。
今となっては、配膳協会の叔母ちゃんに感謝でしょうか。