職業ありき

宝彩有菜に出ていた文章から察すると。

「みんな、したくても出来ないのが現実」といわれてしまえば

それまでなのですが。

ただ子供のころを振り返ってみると、あくまでも私の場合だけど

まー、シュリーマンのようではないわね。

恋焦がれた夢があったわけでもないし、妄想癖もなかったし。

なりたいものは、最初に職業としてあったものばかり。

だからこの年になっても、いろんな形のボールを真剣に追いかけてる

少年たちをみていると、本当に羨ましく思うのでしょうか。



男子の本懐を遂げる


社会的に成功することや、お金持ちになることも、立派なことだと思います。人間の成長とは、個を意識しない状態から次第に個性を持った自我に目覚め、さらに学習や経験を積んで今度は社会に貢献できるようになることですから。
しかし、社会的な責任なり、労働なり、奉仕なりの責務を一応果たしたら、それで人生が終わりだというのは、とてももったいない気がします。

せっかく個性をもった人として生まれてきたのですから、もっと、自分の人生の意味を知ったり、人間の真理を探求することがあっても良いと思います。

だから、そう思って、大会社の役員を退いたら、すぐに山に籠もって、悟りとかの修行に向かう人もいますし、それはそれで素晴らしいことだとは思いますが、でも、その前に、もう一段階、欲しい気がします。
その段階とは、「男子の本懐を遂げる」ステージです。「男子本懐壇」と言います。

どんな男の子も、成長の過程で、社会的な体制に組み込まれる以前には、つまり、小学校高学年くらいの時には、少年としての夢やロマンや冒険心を持っていました。
しかし、いつしかそれらを封印して、今まで、ひたすら社会的な評価の中で働いてきたわけです。
男子本懐壇とは、この封印したロマンに、何十年後に本気でトライしてみるステージです。

一見、社会的には無意味なこと、でも、どうしても忘れることができないこと、心がワクワクしたこと、でも、それを置き去りにして今まで取り上げなかったこと、それらをやってみましょう。
時間もお金も、そして今ならまだ気力も体力もあるはずです。
今から先よりは、今の方が充実していることは確実です。だから、今こそ、そのロマンをやってみましょう。それは、妻や家族から反対されたり、あるいは、あきれられたり、あるいは、馬鹿にされるかも知れないことですが、それが少年であった自分自身に戻れる道なのです。

失われた純真に戻れる道程なのです。

社会的な評価でしか自分を評価できなくなっている弊害を正し、本当の自分自身を取り戻す道なのです。地位や財産の過多ではなく、自分の個性や喜びといった個人の感動溢れる世界に戻れるということです。

また、実際、そこに戻らなくては、さらにその先の、「無我」とかには、なかなか進めないのです。その「自分自身」の部分をとばして修行しようとしても、本気の修行になりにくいのです。
少年の時に果たせなかった夢にトライしてみてください。
3年から5年くらいかけて、ゆっくりじっくり取り組んでみてください。
また、そうするための準備を、社会人の内から、今から始めても良いのです。

修行とは、自分自身に戻る長い旅です。男子本懐壇というステージは、その道程です。
自分自身の趣味や興味を優先して生きるというのは、今までずっとそれを我慢して生きてきた生き方の変更を意味しますから、なかなかすぐには難しいかも知れません。
でも、今までずっと働いてきたことのご褒美だと思えは、許されてしかるべきものではないでしょうか。
少年の心に戻りましょう。

トロイの遺跡を発見したシュリーマンは、長年かけて築いた財産を、少年の時の夢に掛けました。
発見してもしなくても、彼は、土を掘っているときに、少年のようにキラキラと目を輝かせて、それはそれは嬉しかったのだと思います。

男子、すべからく、汝の本懐を遂げよ!!
男子本懐壇、それは人生のゴールデンタイムです。



宝彩有菜


老人といわれるまでのあと何年かの間、考えることの一つでしょうか。

思えば、なりたい職業には一つもつかず、よくもまあ好きでもない仕事に従事してきたものだ。