あまり良い印象は無い

http://sankei.jp.msn.com/life/education/081021/edc0810210250000-n1.htm佐々淳行氏が書いた文章から。

その文章の中で、本人に降りかかった事件が2つ書かれていたのですが、それを読んでいて、あっそういえばと言うような思い出?があったような。

第1は、日教組が文部省の道徳教育に暴力で反対した事実である。昭和33年、全国7つのブロック別に校長・教頭を対象にした「道徳教育講習」が実施されたが、当時の小林武委員長率いる日教組は数千人を動員して実力妨害した。全国7番目、九州地区の別府道徳教育講習には、全国を転戦してきた日教組武闘派2000人が大分県職組、大分全学連と組んで、デモや反対集会を展開した。会場旅館での座り込み、校長・教頭の参加実力阻止と、別府に騒擾(そうじょう)状態をもたらした。

 当時大分県警1300人の警備部隊を指揮したのは、筆者である。

 その渦中で、W巡査部長が日教組の闘争本部に監禁される事件が起きた。筆者は部下のU警備部長らを伴い、警察官の即時解放を求めて、制服で交渉に赴いた。すると、闘争本部では、筆者らを武装解除して人質に、と騒ぎ出すしまつだ。筆者は腕時計をみながら「県警の機動隊には、30分たってわれわれが帰らなければ、突入し、全員検挙せよと命じてある。その時は二宮武夫県議(故人・のち社会党代議士)、貴方に私が手錠をかける」と告げた。間もなくW巡査部長は解放された。

 ≪警官の子を立たせる体罰

 第2は、当時警視庁警備課長だった筆者の息子が世田谷区立小学校で日教組闘士の女性教師Sから、警察官の子というだけの理由で、長時間居残り、立たされるという体罰を受けた事件だ。この教師は授業中、「お父さんが警官、自衛官の子は立ちなさい」と命じた。数人がオドオドしながら立つと、クラス全員に「この子たちのお父さんは、ベトナムで戦争し、学生を警棒でなぐっている悪い人たちです」といい、「立っていなさい」と理不尽にも放課後、夕方まで立たせていた。

 帰宅した息子からこれを聞き激怒した筆者はN校長に抗議の電話をかけた。ところが校長は「相手は日教組、争わない方がよい」と応えた。筆者が「公立小学校で親の職業による差別・いじめ教育と、罪のない子供に『立たせる』という体罰について教育委員会に提訴する」と迫ると、校長は当の教師を拙宅によこした。そして彼女は日教組を盾に、「組織をあげて警察の権力的弾圧と闘う」と息巻いた。

 筆者が「私は一個人の父兄として貴方をクビにするまで闘う」というと、女性教師は突然、床に土下座して「クビになると食べていけない。みんな日教組の指示によるもの」と、泣訴哀願したのだ。


この前に、本人が中山成彬国土交通大臣についてや日教組についても述べているのですが、今まで生きてきた中で恥ずかしながら日教組と言うものが、どのような団体なのかよく知りませんでした。
ただこの文章をよんでも、どっちもどっちと言う程度しか思えないというか。


回想

1975年春。中学に赴任してきた担任教師の家庭訪問。
突然私の部屋に担任が入ってくる。
一通り見回して、飾ってあった戦車のプラモデルと月刊誌GUNを見つけた瞬間、彼の表情がはっきりと変わる。
「この戦車は何のために有るか知っているか」「この銃で何人の人が殺されたか知っているのか」。
とてつもない調子でまくし立てる。

担任は、函館から着たばかりの二科展にも入選経験のある美術の教師。
「はー」「はー」
私は何を言われても「はー」としか言えなかった。
口下手のなんと情けない事か。

翌日学校で「これ読んでみろ」と確か「ベトナム白書」と書かれていたと思うが、その本を渡される。
内容はナパーム弾やキャラメル爆弾や地雷の恐怖が書かれていたように記憶している。

そして翌日「どーだった」「ひどいだろ」「残酷だろ」「知らなかったろ」

それに対しても私は「はー」「はー」しかいえなかったのですが。

彼が日教組に属していたのかどうかは知りませんが(職員室には普通に赤旗がいつも置いてあったけど)、否定も肯定も出来なかった自分がとても歯がゆくて、とってもいやな思い出です。

というよりGUNという雑誌には、ベトナムからの特派委員の報告が毎月出されていて、それを1年以上も購読していたのですから、いくら中坊でもかなりと言うよりへたするとあなたより知識ありますからといいたかったのか。
とくに自宅訪問を受けた時の1975年の5月号は、4/28日のサイゴン陥落について事細かく書かれており、しかも読み終えたばかりだった。

ピューリッツア賞を受けた2枚の写真もこの雑誌で知っていてた。

         
ベトナムの少女              安全への逃避

教育とは、押し付ける事ではなく、考えさせること。

因みに日教組には、組合歌があって作曲したのは、佐々木すぐるさん。
佐々木すぐるさんといえば、「月の砂漠」で有名ですが、「兵隊さんよありがとう」も作曲しています。
これってどうなのでしょう。

んっー?